それは吉本隆明さんという方が
ある犯罪に際して話された言葉なんですね。
日本で15年くらい前、
ひとりの子どもが殺されて、首を切りとられ、
その首だけが学校の門の前に置いてあったという
事件がありました(神戸連続児童殺傷事件)。
そしてその事件は当時、
非常に猟奇的でスキャンダラスなニュースとして、
毎日、報道されていたんです。

でもその先生は、
メディアがその事件について
「人間のやることじゃない」
「犯人は常軌を逸している。信じられない」
といった論調で騒いでたときに、
「いや、犯人が特別というのは、違うんだ。
 人間にはもともと歴史的に
 そういうことをしていた時代もあるんだから」
ということを言ったんです。
人間がやってきた歴史の中には
たとえば日本でも、武士が手柄のために
相手の首をさらしていた時代もある。
だから、その事件についても
「スキャンダラスな事件としてではなく、
 『人間がやりうること』として捉えています」
と、おっしゃったんですね。

それでぼくは、その言葉を聞いたとき、
自分がいかに、
いまの時代、いまいる場所の考え方に
とらわれているかについて
反省したんです。

 前座として修行中、師匠の立川談志からよく叱られたものです。ある時などは、朝、顔を合わせて「おはようございます」と言った、そのたった一言をいきなり注意されました。

 会って0.5秒で叱られる。これは一門の中での最短レコードとしていまだに記録は破られていないようです。その時の師匠の言葉が「リズムで挨拶するんじゃねえ」でした。

不動産から家を借りようとするとわかると思うんですけど、すぐに「働いている男の正社員の親戚や親はいませんか?」とか言われません? あれが今の日本社会の象徴なんですよね。今の日本で社会的信用を得て、社会保障をきちんと得ようと思うと、戦後的中流文化の枠に入っている成人男性がいないとアウト、というけっこう終わってる社会なんですよね。

nananaorihara:

drawing(2014)

(via rob-art)

ところが、浮かない顔で帰ってきた。量販店での評価が散々だったからです。「東芝さん、これはエアコンじゃないよ。やっぱり横にスリットが入ってないと売りづらい」と言われたそうです。

小林:新しいことをやろうとすると、反対する人は必ず出てきます。

田子:一方、エアコンチームは「売れないはずはない」と思っていました。我々は「顧客価値を考え抜き、その本質を突いたデザインをつくった」のですから。正直なところ、量販店の意見で少し不安はありましたが「予定通りに発売しよう」と決断しました。

 そうしたら何のことはない。量販店の読みは大外れ。夏から年末にかけて売れまくりです。売り場にエアコンがずらっと並んでいると、東芝の製品だけスリットがないので目立つんです。すると、お客さんが「なぜこれだけ違うの?」と思う。

 そうなるとしめたもので、店員が、「実は東芝の新しいエアコンでして」と営業トークを始められる。すると、すっきりとした見た目や掃除が簡単といったメリットが伝わって火が付いたわけです。結局、2000年の東芝の製品の中で最大のヒット商品になりました。

コミナトルウコ
‏@ykzts
GPL違反には厳しいけど、アニメのキャプチャー画像を気軽に使って著作権侵害を犯すプログラマーの皆さん。
『田舎では(娯楽がないから)人間が最大のエンターテイメント』っていうのを見て「あなた結婚はまだなの?」「子供まだなの?」って言う意味が分かった気がした。あれは新キャラ登場を待ってるんだな。

stunningpicture:

Apple of love

(via koshian)

女の人は美人でも不美人でも、オシャレでもオシャレじゃなくても、若くても若くなくても、化粧しててもしてなくても、結婚していてもしていなくても、子供いてもいなくても、何やってもやらなくても、絶対誰か、ぜーったい文句つけられる。だから本当にみんな好きにすればいいと思う。
これぞ日本語の美しさ。

●驟雨(しゅうう)
突然降り出す雨。俄雨(にわかあめ)。たいてい入道雲ができて雷と共に降ってきます。
●地雨(じあめ)
しとしとと振りつづく雨。纏わり付くようなうっとおしい雨。
●肘かさ雨(ひじかさあめ)
急に降り出した雨。肘を傘の代わりにして軒先まで走る様子からこう呼ばれています。
●篠突く雨(しのつくあめ)
篠とは群生する細い竹のことで、篠を束ねて突きおろすように激しく降る雨です。
まさに槍が降っているようですね。
●村雨(むらさめ)
群雨/叢雨ともかく。群になって降る雨。玉が散っているような雨のことです。
●怪雨(あやしあめ)
花粉、黄砂、火山灰などいろいろな塵が混じって降る雨のことです。
●天泣(てんきゅう)
空に雲が無いのに細かい雨が降ってくることです。狐の嫁入りとも呼びますね
●外待雨(ほまちあめ)
自分の畑だけに降るような雨、局地的な雨のこと。近畿地方では私雨も呼びます。

梅雨が付く雨の呼び名

●入梅(にゅうばい)
梅雨に入る事をこう呼びます。最近はかなりおおまかになりましたね。
●栗花落(ついり)
梅雨入りのことです。この頃は栗の花が散るのでこう呼びますが、「堕栗花(ついり)」という字で表現する事も有ります。
●五月雨(さみだれ)
梅雨のことです。旧暦の5月に降る雨ですので今の暦ではちょうど梅雨時期ですね。
●梅雨(つゆ)
江戸時代頃から「ばいう」→「つゆ」と呼ばれるようになりました。漬「ついゆ」などが語源とされています。
●菜種梅雨(なたねつゆ)
3月下旬から4月 菜種の生る頃にかけて関東よりも西の地域で天気がぐずつくことです。
●走り梅雨(はしりづゆ)
5月の中旬から下旬にかけて梅雨を思わせるようなぐずついた天気が続く事です。
●送り梅雨(おくりづゆ)
梅雨があける頃の雨の呼び名です。
●戻り梅雨(もどりづゆ)
梅雨があけたと思ったらまた雨が降り続く事です。
●空梅雨(からづゆ)
雨の少ない梅雨の事です。
●山茶花梅雨(さざんかつゆ)
初冬に比較的短い期間ぐずつく雨のことです。

季節による雨の呼び名

●時雨(しぐれ)
晩秋から初冬にかけて、ざっと降ったかと思ったら、すぐに青空が戻ってくるような雨です。
●村時雨(むらしぐれ)
ひとしきり強く降っては通り過ぎてゆく雨のことです。
●片時雨(かたしぐれ)
ひとところに振るの時雨のことです。
●横時雨(よこしぐれ)
横殴りに降る時雨のことです。
●春時雨(はるしぐれ)
春なのに時雨を思わせるほどの冷たい雨の事です。
●小糠雨(こぬかあめ)
春先にしとしとと降る霧雨。ひそか雨とも呼ばれます。
●春雨(はるさめ)
いつまでも降り続く地雨のようなしっとりした雨。春の後半の菜種梅雨の頃の雨です。「春雨だ濡れて参ろう」なんて粋な台詞が有りましたね。
●春霖(しゅんりん)
3月から4月にかけて天気がぐずつく時期のこと。春の長雨とも呼ばれますが。地方によっては菜種梅雨と呼ばれます。
●翠雨(すいう)
青葉に降りかかる雨の事です。
●緑雨(りょくう)
新緑の頃に降る雨の事です。
●麦雨(ばくう)
麦の熟する頃に降る雨の事です。
●甘雨(かんう)
草木を潤う雨の事です。
●瑞雨(ずいう)
穀物の成長を助ける雨の事です。
●卯の花腐し(うのはなくたし)
旧暦の4月から5月の卯の花が咲く頃に降る雨。この頃の曇り空を卯の花曇と呼びます。
●秋霖(しゅうりん)
秋の長雨のことです。

日にち限定の雨の呼び名

●虎が雨(とらがあめ)
旧暦5月28日頃にに降る雨です。有名な仇討ち話で 曽我兄弟の仇討ちというのが有りますが、見事本懐を遂げたのが旧暦の5月28日、その時曽我兄弟の兄曽我十郎は取り巻きの武士に斬られて討ち死にしますが、彼には恋人がいました。それが「大磯の虎」とも呼ばれた遊女、虎御前で、彼女が悲しんで流す涙が命日に雨となって降ると言われ「虎が雨」と呼ばれるようになったと言う事です。
●洗車雨(せんしゃう)
旧暦7月6日に降る雨です。彦星が織姫に会う為に牛車を洗う水が雨になると言われています。
●酒涙雨(さいるいう)
旧暦7月7日に降る雨です。これは雨のために会えなかったということでは無く、年に一度しか会えない惜別の想いの涙だと言われています。
●御山洗(おやまあらい)
旧暦7月26日に降る雨。山の不浄を洗い清める雨です。
●半夏雨(はんげあめ)
夏至から数えて11日目の半夏生の日に降る雨です。
●寒九の雨(かんくのあめ)
寒に入って9日目に降る雨。豊年万作の兆しといわれます。

その他
●作り雨(つくりあめ)
打ち水のことをこう呼びます。
●樹雨(きさめ)
濃霧の森を歩いているときに木の葉からしたたり落ちてくる雨の事です。

http://fritha.cocolog-nifty.com/wordsworth/2007/02/post_7b50.html (via k-tsukudani)

ほぉ~こんなにあるのか、雨の呼び方。

(via mayoshima)

(via hanemimi)

「終電、無くなっちゃったね…」彼女はそう呟いて、隙間無く埋め尽くされた時刻表を見つめていた。20XX年の日本、経済振興のため全企業に24時間営業が義務づけられ、5分刻みのシフトに支配されたオフィス街へ人間を輸送すべく終日終夜列車が運行している。「終電」は、無くなってしまったのだ。
 

理詰めの人は「呆れて黙る」ことがある。相手の理解力の無さに説得を諦めてね。
感情の人はそれを勝ったと思い込んで吹聴する。
理詰めの人はコストメリットが無いので関わらないのが一番、って関係を絶つ。

外部からは理詰めの人が負けて逃げたように映る。

プラトン、漱石、フーコー、ジョブズ。
彼らは、とても理性的論理的な人々だったけれど、
だからこそよくわかっていた。
理性だけでは足りないのだ。
どこか狂気の力を借りなければ、
高いところへいけないことを。